遠藤賢司「君にふにゃふにゃ」

もともとこのブログは遠藤賢司(以下エンケン)の前作「にゃあ!」のことを書きたかったがために始めたようなものなので、その他のことは実はすべて余談だったのです。などとカミングアウトしてみたりしてみましたが、そうである以上、エンケンのニューアルバム「君にふにゃふにゃ」について触れないわけにはいきますまい。

エンケンが1969年にシングル「ほんとだよ/猫が眠っている」でデビューしてから40周年にあたるのが今年。その記念盤という一面も兼ね備えたこの1枚。なのですが、これが発売されたのを知ったのが発売から一週間後のこと。こりゃマズいと思い翌日CDショップへ駆けつけたところ、ない。置いて無い。いや、そりゃないだろうと思い店員さんに遠藤賢司の新譜はありますかと訊いたら「タイトルはおわかりになりますか」と言うので「君にふにゃふにゃ」と答えたら、店員さんから笑みがこぼれてなんだかその場がとても和んだようなそんな素敵なアルバムなのです。がしかし無いことに変わりはないわけで「お取り寄せになりますが」との店員さんのさらなる問いにはどうしても今日聴きたいこの衝動は抑えられないのでここはひとつさわやかに「じゃあ、いいですっ」と笑顔で答えて次のショップに向ったのでした。笑顔の素敵な店員さんごめんね。まあでもよくよく考えればもともとどの店でも入荷枚数は少ないだろうしファンは速攻で買うだろうから売り切れていたんだなと解釈したりもして。で、次店にてあっさり見つかり無事購入できました。

普通なら速攻でカーオーディオもといステレオに買ったCDをぶちこむのですがついさきほどまで聴いていた「夢助」がちょうどいいところだったのであえて家まで我慢したりして。この音楽的衝動を我慢できるようになるなんて俺も大人になったもんだぜ。なんてね。そしてつい先日買い替えたプリメインアンプを経由して我家のスピーカーからエンケンの新譜「君にふにゃふにゃ」が流れてきたのです。

おお、なんだこのまるでデビューアルバムのような初々しさは。音質といい曲調と言い、なによりもその個々の音、楽器の音がエンケンの声が70年代前半にワープしたかのようだぜ。だってバックの面子がティンパンときたらそりゃ当時と一緒なわけで変わらなくてあたりまえなんだけど当たり前のように同じ音が出てくるのは音楽のマジックというしかない。でもそれはきょうびありがちな大御所のリユニオンとは全く違って懐古的なものでは全くなくてエンケンの今が詰まったバリバリの新譜なので、そんな70年代的なものだけでおわるわけは無く怒濤のエンディングへ向っていくのでした。

しかしデビュー40年の60歳を超えたベテランがまるで少年のように好きな女の子のことを歌い、なんて言うとなんだかとてもいやらしくあざとく聞こえてしまうけれど、そこをデビューしたてのシンガーのような初々しさで聴かせてしまう、ってこりゃあ奇跡ですよ。そうかと思えばあまりにも弱気であからさまでネガティブな心情吐露。でもこれは音楽だからそんな誰しも持っているネガティブな要素もひとつの曲、作品に昇華されることで全く違った意味を持ってくることに気付かされる。そして音楽の本質である、とも言える「歌に宿る神々」を歌った怒濤のラストナンバー。そう、やっぱり音楽ってそういうもんだよね。音楽って素晴らしい。ありがとう。そんな気持ちにさせてくれる。

前作はとても攻撃的な、とめどない怒りが外に向けて爆発したパンキッシュな、自分にとって21世紀最大のパンクアルバムだった。この先どうするんだろうと思っていたところに届いた今作は、一転して内省的でフォーキーな、でも、本質は全く変わっていない、それでいて随所に決して他の誰もいまだかつてやってないであろう音楽的な新しさが感じられるアルバムに仕上がっていた。

「君にふにゃふにゃ」なんだかその字面を見ただけで脱力してしまうのにましてや言葉にしようものなら。うふふ。でも男ならやっぱり君に(以下略


タグ :エンケン

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