青山ロックンロールショー

忌野清志郎が旅立って2W、あの青山ロックンロールショーから1Wが経過し、僕もだいぶ落ち着いて清志郎の歌声が聴けるようになった気がする。

5月2日のこと、何気なくテレビを眺めていたらテロップが一瞬誤表示されたあと女性キャスターが「ロックミュージシャン忌野清志郎」の死去を告げていた。その瞬間「ああ。やっぱり」と自分でも意外なほど冷静に聞き入れていた。既にがんの転移は発表されていたし、その時からもしかしたらという思いはあったのかもしれない。それに昔は大大大ファンだったけれど、1995年の「不死身のタイマーズ」を最後にそれ以降の楽曲からは遠ざかっていたし、それは92年のアルバム「Memphis」とMG'sとの武道館公演を通して僕の中でどこか完結したという思いがあったからかもしれない。
でも、その日から、日に日に清志郎への思いが、というか僕の人生が彼の声とうたと音楽にどれほど大きな影響を与えられてきたのかということが思い起されきて「いかなくちゃいけない」気がしてきて、5/9は予定をキャンセルして青山ロックンロールショーと題された音楽葬に向った。最後のコンサート会場に向うような気持ちで。朝、友人にメールを出したら「俺の分も祈ってきておくれよ」と返事がきた。

12時頃最寄り駅を降りると既にすごい数の参列者だった。スタッフの方の案内に従って並んでいると「この辺りのかたは17時頃の入場になります」とアナウンスがあった。列がなかなか動かない中とあるお店の前で立ち止まっていたら中から出てきた方に「何の行列ですか」と訊かれた。

自分もそうだけど皆思いのほか冷静にこの現実を受けとめているようにも見受けられた。泣いている人もいないし、泣くつもりもなかった。でもスタッフから配られた弔問カードにメッセージを、今日どんな思いでここへ来たかを書いていたらなんだか泣けてきた。
並ぶこと約四時間半、やっと会場入口にたどり着くと巨大PAから清志郎の声が響いてきた。まるで野音だ。式場入口では巨大ウサギが迎えてくれる。受付を終えそこから並ぶこと約15分、ついに式場にたどりついた。すでにニュースでおなじみの遺影が、とっても穏やかで幸せそうな笑顔がそこにある。紅白幕の下に。次第に霊前に近付いてきてあと僅かのところまできたらもうたまらなくなって、一気に涙が溢れ出してきた。「キヨシローッ!」大声で叫んでる奴らがいる。僕も今日はこの声を届けにここに来たんだ。そう思って大声で叫んだ、つもりだった。「キヨシロ・・・」涙で途中から声にならなかった。
涙を拭いながら式場から出ると、清志郎の最新曲「OH!RADIO」が流れて来た。西日で陰り始めた会場内を美しいメロディにのって、あのいつもの清志郎の歌声が、僅か数ヶ月前に録音されたことが信じられないほど元気でハリのある歌声が、僕達を優しく包み込んでくれた。

僕は弔問カードにこんなことを書いた。「今日は分かれを言いに来たんじゃない。だって君は、君の歌声は、いつだってそこにいるじゃないか。今日ここに来れば、何かを伝え合えると思ったんだよ」

帰路、CDショップに立ち寄ってラストアルバム「夢助」を買って帰った。前日に読んだ矢野顕子のブログで「夢助」に触れていたことを思い出したからだ。聞き逃していた清志郎の「今」に触れるために、ここからまた巡っていこうと思うよ。僕にとっての新譜に。そして自分の「今」を楽しむために。



にほんブログ村 その他生活ブログ 片付け・収納へ
同じカテゴリー(音楽)の記事
Playing on R&B
Playing on R&B(2008-11-05 20:28)

癒しの音
癒しの音(2008-07-20 22:00)

歌姫復活
歌姫復活(2008-07-18 20:00)

巨匠は苦手なのだ
巨匠は苦手なのだ(2008-07-03 22:00)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
青山ロックンロールショー
    コメント(0)